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Her Films and her
Life
ソリダット・ミランダの人生には謎が多い。 明かされていない情報も多く、インターネット検索で 判明した事実も、突き合わせると矛盾するケースもしばしば。 特に、彼女が迎えた突然の死に関する記述は 資料によって様々で、文字通り混沌の極みと化している。 カルト女優として名高い彼女の実像は、残念ながら ほんの僅かしか知られていないのが現実なのだ。 ここに記載したバイオグラフィーは、ソリダット・ミランダの ファンサイト "Soledad Miranda:Blood Queen"の Amy Brown 氏が丹念に製作されたものを、ご本人から 許可を得て抜粋翻訳させて頂いたもの(Big Thanks Amy!!)。 本文中には、ミランダと浅からぬ付き合いのあった ジェス・フランコ自身の回想も含まれているが、その叙述は 時を経て若干、変化しているようだ。 *"Bizzare Cinema"誌から引用した箇所、 あるいは、追記した部分は緑色で表記しました。 |
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ソリダット・ミランダ(Soledad Miranda)は、 1943年7月9日、「カルメン」の舞台となったスペインの町、 セビリア(セビージャ)でポルトガル人の両親の元に誕生。 本名はソレダ・ルドン・ブエノで、その意味を 日本語に訳すと"良質の孤独"となる。 スペインでは国民的人気歌手で、映画女優、 更にはフラメンコダンサーとしても有名だった パキータ・リコ (Paquita Rico:1929年10月13日、 ソリダットと同じくアンダルシアのセビリア生まれ。 出演作の中では『荒野の愚連隊』(62)が 日本でも封切られている)の姪に当たるミランダは、 早くから芸能界に興味を示し、わずか8歳で芸能界デビュー。 サンフェルナンド・タレント・コンペティション (要するにスター発掘みたいな感じのイベント?)に 出場。フラメンコを踊り、歌を披露した。 フランコによれば、彼女はジプシーの最下層の出で、 学はなかったが、本能的に表現する事の本質を 知っていたという。また、その血筋(気質?)について、 半分はジプシー、半分はアンダルシア人のそれ、 と語っている。 余談だが、フラメンコの発祥については諸説あるが、 アンダルシア地方の最西部に当たるセビリアは、 ジプシーの定着地であり、放浪の民だった彼らが、 アンダルシア地方の舞踏音楽を彼等流にアレンジして 形造ったとする見解が有力なようだ。 苦悩や激情を力強く表現するフラメンコは、 恐らくソリダット自身のキャラクターを形成する上で 重要な要素となったに違いない。 また、ポルトガルには郷愁や寂寥感、慟哭を歌う 伝統民謡ファド(Fado)がある。歌手ソリダットの 守備範囲はポップソング中心だったようだが、 その核には彼女が生まれ育った場所の空気が色濃く 反映されていると言っても過言ではないだろう。 |
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まだ10代のうちにマドリッドに移住したソリダットは、 16歳("Bizarre Cinema" 誌では17歳)の時に ノン・クレジットながら 『La Bella Mimi ("The Beautiful Mimi")』(60) という、ミュージカル コメディーで映画デビューを果たす(バレエの踊り子役だった)。 同郷セビリア出身(1935年生まれ/39年説あり)の有名な フラメンコダンサー兼歌手のミカエラ(・ウッド)と知り合い、 映画にも数多く出演していた彼女の後押しもあって、 ミカエラの主演作を撮っていたスペイン屈指の多作監督 ジェス・フランコの目に留まった彼女は 端役ながら、『La Reina del Tabarin』に出演を果たす。 フランコとソリダットのコラボレーションは、この時から始まった。 "Immoral Tales" 誌によると、フランコはミカエラを通じて、 彼女の屋敷に出入りしていたソリダットと出会ったそうだ。 当時、ミカエラの自宅には自由を愛するジプシー、 あるいはジプシーのように定住の地を持たない人々が 数居候しており、ソリダットもそんな集団の一人だった。 |
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| 歌い踊るゴージャスなミカエラ(右、上)。 50年代の終わりから映画に出演。 IMDbで判明するフィルモグラフィーの最終作は ブルーノ・マッティのエロティック・ゾロ映画 『Les Aventures galantes de Zorro』 (72)。 |
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| その後、ガラス細工のような繊細な美しさを持った若きソリダットは、 当時スペインで人気があった喜劇やメロドラマで 清純なヒロイン役を演じる期待の新進女優として、 自国とイタリアで製作されるB級映画を中心に活躍。 1960年から70年の間に、およそ30本以上の作品に顔を出し、 史劇ドラマ『The Castilian』(62)に、ファンタジー映画 『Pyro(Fuego)』(63)、そしてスペインで出稼ぎ女優活動をしていた イングリット・ピットと共演した黒白の冒険ホラー 『Sound of Horror』(65)など、西部劇からホラーまで、 様々なジャンルの作品に出演する。 日本では『必殺の用心棒』(66)や『100挺のライフル』(68)などが、 紹介されたが、残念ながら大きな注目を浴びるまでには至らなかった。 この頃、彼女は『Currito de la Cruz』(65)などの作品で スペインの伝統歌謡やララバイを歌い、自慢の喉も披露している。 |
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| "彼女の人生は、不幸で苦難続きだったかもしれないね"と フランコは1974年に語っている。 "最初はフラメンコダンサーを目指していたのに、 畑違いの映画で端役ばかりを演じる日々が続いたんだから。 スペイン俳優にとって、ある程度の知名度を得るのは 本当に大変なことなんだ。ソリダットも女優としてのキャリアを 途中で諦め、1967年にポルトガル人のレーサーだった男 (彼はとても良い奴で、二人は男の子をもうけた)と結婚し、 一時は映画界から足を洗ったこともあるんだよ。 だが結局、彼女は女優活動を再開した。 映画の世界を忘れることは出来なかったんだ。" フランコはまた、スペイン映画ではソリダットは常に 同じような役柄を押しつけられ、まるで魂の感じられない 人形のような扱いを受けて来たとも言う。 |
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1970年、ソリダットの魅力を活かしきれない映画群を 苦々しく思っていたフランコに絶好の機会が訪れる。 『ドラキュラ伯爵(吸血のデアボリカ)』を撮る機会を与えられた 彼は、60年の『La Reina del Tabarin』以来、実に10年ぶりに ソリダットを自作に起用。吸血鬼の生贄に扮した彼女から、 女優として新たな一面を引き出すのに成功する。 当時を振り返って、フランコはこう語る。 "私の映画で仕事を始めたソリダットを見ていると、 彼女の内面がどんどん変化していくのが分かった。 ソリダットは私に、こんなに仕事をしていて満足感に 包まれたのは初めてだと言っていたよ。" |
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彼女の変貌は、同時に外見にも現れ始めていた。 ただ、やみくもに若くて、ふっくらと健康的で、 フワフワと地に足がつかない美人女優は、一転して ミステリアスで、どこか病的な暗い影のある、 フランコ映画に欠かせない独特のキャラクターへと変身したのだ。 フランコにとって、ソリダットは大いなる発見だった。 彼女はフランコ映画のスターであり、文字通り 彼が進むべき道を照らし出す、明るい星でもあった。 二人は名コンビとなり、年に数本の割合でハイペースに仕事を続ける。 永遠の命を受け継いだ女吸血鬼の孤独を綴る『ヴァンピロス・レスボス』、 復讐に狂う若妻の暗躍を描く『シー・キルド・イン・エクスタシー』、 隕石を巡るスパイ戦を題材にした『恍惚の悪魔・アカサヴァ』、 そしてラフエッジな殺人物『Eugenie』。全ての作品が70年に製作され、 そのどれもが躍動感と表現欲に満ちた新しい地平を開拓していた。 |
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| 『恍惚の悪魔・アカサヴァ』が完成した数週間後、 ソリダットはリスボン近くの高速道路で、 夫のホセ・マヌエル・コンセイソン・シモンズが運転する 新車のコンバーチブルに同乗中、交通事故に遭う。 相手の車両とはソリダットが乗車していた助手席側が接触。 夫は幸いにも軽傷で済んだが、彼女は1970年8月18日に死亡した。 ある資料は、ソリダットが病院で数日間の治療の甲斐なく 死亡したと伝え、別の資料では夫妻はポルトガルのリゾート地、 エストリルからリスボンへと旅行中に事故に遭い、 ソリダットは頭蓋骨および背骨中を破砕、リスボンの 赤十字病院に運ばれたものの、数時間後に死去したと述べている。 ジェス・フランコ自身の回想は上の二つとは微妙に異なり、 事故の数週週間前に『ヴァンピロス・レスボス』がベルリンで 公開され、大ヒットを記録。ソリダットはドイツの製作会社との 出演契約を持ち込まれ、スター女優として花開き始めた矢先に 事故に遭ったことになっている。 "私はリスボンにある彼女のアパルトメントを訪ねたんだ。 ドイツのプロデューサー(カール・ハインツ・マンヘン)と一緒にね。 彼はソリダットと2年間の出演契約を結びたがっていた。 1年に少なくとも2本の主演作が、かなりの予算で製作される 破格の契約だった。彼女はもう少しでドイツの大スターになれたんだ。 その契約話があった翌日、ソリダットは事故に遭った。 病院から私に連絡があってね、私には信じ難い話だった。" フランコの話では、ソリダットは事故の翌日に死んだことになる。 が、同時に彼はソリダットが契約を持ち込まれた日に 事故に遭ったとも語っており、どちらが本当なのか判断に困るところだ。 |
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一連の混沌を振り返り、フランコは言う。 "ソリダットが残した遺産は余りにも大きかった。 彼女の死後、私の映画に出演する女優たちには、何らかの形で ソリダットの影が投影されている。例えばリナ・ロメイだ。 私には、しばしば彼女がソリダットの霊に憑依されているとしか 思えない瞬間があるんだ。まるでソリダットそのものに見えるのさ! 私と仕事をした俳優たちや、スタッフ、他ならぬ私自身が ソリダットには並々ならぬ思い入れがある。 彼女は未だに私たちと一緒に存在しているんだよ。" |
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他にもソリダットの死と、彼女が出演した『Un d} en Lisboa』の 間には奇妙な一致が存在する。この短編作品の設定となっている エストリルからリスボンへ旅行するカップルの姿は、 (一説によれば)実際に同じ道筋を辿ったソリダットと 夫の姿に重なる(フランコは彼女がちょっとした ドライブ旅行にでかけただけだろうと語っているが)。 更に奇妙なのはこの映画の共演者は、ソリダットの未来の夫となる ホセ・マヌエル・コンセイソン・シモンズであるということだ。 クレジットを見る限り、同一人物であることは疑いがない。 彼が出演した映画は僅か3本、それも全て1964年に製作され、 全てソリダットとの共演作だ。スペイン映画にはプロの俳優以外に、 各分野の著名人がしばしば登場するので、レーサーだった彼が クレジットされていても不思議ではない。 近年、フランコの監督作を製作しているワンショット・プロダクション のケヴィン・コリンズ氏によれば、ソリダットの夫は確かに 何本かの映画で演技を披露した経験があるそうだが、その題名は 特定できないとのこと。 ソリダットは夫との間に、1967年前後に男児を一人もうけているが、 フランコさえ彼の消息を知らないらしい。恐らく彼は今も生きていて、 ポルトガルかスペインのどこかで生活しているに違いない。 なお、彼女の変名:スーザン・コルダ(Susan Korda)は、 シャロン・テイトが出演した『哀愁の花びら』(67)の 原作者ジャクリーヌ・スーザンと、名監督/製作者として知られる アレクサンダー・コルダから命名した名前であると IMDb などで解説されているが、実際にはフランコが 往年のドイツ女優(Susanne Korda)から 引用したという説が真相のようだ。 |
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Finally, we're going to meet you, Soledad !
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フランコ+ソリダット・ミランダの2作品が
Trash Mountain Videoより 6月にリリース!
ヴァンピロス・レスボス
1970年/ドイツ=スペイン/カラー・98分/独版/16:9(ビスタ) 夕闇にたたずむ女ヴァンパイアの孤独 |
シー・キルド・イン・エクスタシー
1970年/ドイツ=スペイン/カラー・73分/英語版/16:9(ビスタ) 胎児を研究に用いて、癌の特効薬を発見した若きジョンソン医師 |
| Eugenie de Sade (De Sade 2000/Eugenie) |
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See Great Tributes for Soledad
Miranda !
