
マリー・フォルサ
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<永遠のマリー> ●1956年12月13日、スウェーデンのストックホルムで 小商人の娘として誕生。ストックホルムの高校に在籍中、 ジョゼフ・W・サルノ監督にスカウトされ、 西ドイツで「オカルトポルノ/吸血地獄」に主演。 わずか16歳で映画デビューを果たす。 続いて300人の候補者から「熟れすぎた少女BiBi/16歳」の タイトルロールに抜擢され、奇跡の早熟女優という キャッチフレーズで一躍スターダムにのし上がった。 「BiBi」の公開時に来日し、若いファンを中心に人気を集めた。 多くの映画で用いているクレジットはマリア・リン。 フォルサで探しても資料がねぇ筈だぜ。 別冊スクリーン78年6月号によると、 マリーはパリに毛皮店を開店。それも男性専用の店だそうで、 記事によるとマリーは、「毛皮で出来たコッ◎サックも あるわヨ」と宣伝も怠りなしだったとこと。やるもんです。 |
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↑「若草の濡れるとき」より2点。
<主な日本公開作>
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| クリスティナ・ リンドベルイ(リンドバーグ) Chiristina Lindberg
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<アイドル女優も、今や女実業家!> ●1950年12月6日生まれ。スウェーデン南部に位置する 大港湾都市イェテボルイ出身。18歳の頃に ストックホルムに出て、ショーダンサーを目指す。 可憐な顔立ちとグラマラスな肢体を持った彼女は、すぐに 周囲の注目を集め、写真モデルやヌードグラビアを経験。 やがて映画界に招かれ、20歳の時に日本未公開の 「暑いさかり」(70)で銀幕デビュー。 映画出演第二作目に当たる「露出」(70)公開の際、 ポルノ女優としてはサンドラ・ジュリアンに続いて 2人目の来日を果たし、大いに人気を集めた。 この時にマスコミにヌードを撮影させ、東映と契約。 同年には米国監督の「情欲」(70)に出演し、 アメリカにも名前を売る。日本未公開作「けむり」を挟んで、 翌72年には「女子学生(秘)レポートNo.4/性感優等生」に ゲスト的な役柄で顔を出すなど、精力的に活動を続ける。 73年に再来日して東映製作のプログラムピクチャーで、 荒木一郎、池玲子らと各1本ずつ共演。 彼女は麻薬の運び屋や、英国の諜報部員に扮して、 その魅力を振りまいた。その後も立体ポルノ 「先天性露出魔」(73)、16歳のニンフォマニアックに扮した 「異常性欲アニタ」(76)などの作品に出演。 大きな瞳と小さめの唇、あどけないマスクで 大胆な痴態を演じ、話題となった。 (現在も海外に根強いファン多し)。 日本では公開が見送られた「スリラー」(74)では 片目の女殺し屋に扮し、タランティーノの「キルビル」で オマージュを捧げられていたのはご存知の通り。 別スク78年10月号で、映画業界から引退したとされていた 彼女の妙なニュースを発見。デンマークへ出向いた彼女は、 ポルノ船の船長をしていたらしい。客を乗せた船は 領海外へ出てポルノ映画を上映、ライブショー、 ヘアコンテストを開催。船長のクリスティナ嬢も裸で登場、 4人の男性相手に猛ハッスルしてポラロイド片手の 観客を喜ばせていたとか。聞くところによると、現在は 本国スウェーデンで女性実業家として成功。良かったね。 ←来日時の会見から(横2枚)。
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| <主な日本公開作> 「異常性欲アニタ」(74) 「ポルノの女王/日本SEX旅行(東映)」(73) 「不良姉御伝/猪の鹿お蝶(東映)」(73) 「立体ポルノスコープ/先天性露出狂」(73) 「女子学生(秘)レポートNo.4/性感優等生」(72) 「情欲」(71) 「露出」(71) |
サンドラ・ジュリアン
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<フランス生まれのキャンディ・ガール> ●1950(51年説アリ)年2月14日、 南フランスのトゥーロン生まれ(イタリア生まれ、とする 資料もある)。幼い頃から芸能界に憧れ、芝居と踊り、 歌唱を勉強する。少女時代は姉たちに育てられたが、 70年の7月、19歳でパリに出て、国立音楽演劇学校の コンセルヴァトワールに入学、本格的に演技の技術を学ぶ。 その後、ニースやカンヌにも姿を現すようになり、 彼女の赤味がかった栗色の髪とブラウンの瞳、 170センチの長身とB90W58H91の美しい肢体は 各国の映画スターや製作者の注目を集めるようになる。 同年、クロード・ベリ監督の「パパの映画」で銀幕デビュー。 20歳のときに出演したジャン・ローランの 「吸血魔団/地獄の儀式」で初主演を飾る (最近発売されたDVDを見て、初々しい彼女に 惚れちゃった人もいるのでは?)。 次いで仏ポルノの巨匠、マックス・ペガス監督に見出され、 「色情日記」のヒロインを演じてブレイク。 ポルノの女王の称号を受けるようになった。 「色情日記」の公開時には日本にも来日。 全裸写真を撮らせてマスコミを仰天させ、 改めて東映に招かれて「先天性淫婦」 「徳川セックス禁止令/色情大名」などの 邦画にもゲスト出演を果たした。 私生活ではマックス・ペカス監督と肉体関係を結び、 結婚間近と噂されたが、結果的には金銭上のトラブルで破局。 原因は彼女の金遣いの荒さと、ジェーン・フォンダと 別離した後のロジェ・ヴァディムに接近したことで ペカスが嫉妬したからだと伝えられた。 好きな男性スターはポール・ニューマンとリチャード・バートン、 女優はメリナ・メルクーリ。母親は中学の歴史教師、 父親は当時、既に死去していた。住居はパリの十六区、 現在婚約者アリ、と報道されていた。 本名はサンドラ・カラプッティ。 ←来日時のスナップ |
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映画雑誌に掲載された"サンドラ・ジュリアン、 お部屋でヌード"という、笑撃記事から。 申し訳ありませんがバスト以下は自主規制。 ← <主な日本公開作> 「ウーマン・ゼリー/満熟」(81) 「サンドラ・ジュリアン/色情狂の女」(72) 「サンドラ・ジュリアン/変態白書」(72) 「徳川セックス禁止令 色情大名(東映)」(72) 「色情日記」(71) 「現代ポルノ伝 先天性淫婦(東映)」(71) 「吸血魔団/地獄の儀式(催淫吸血鬼)」(70) |
ジャニーヌ・レイノー
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<奥さまは鬼女> ●燃えるような赤毛と、ツリ目の鬼面。 フレンチポルノに君臨する女王サマがジャニーヌ・レイノー。 モデルをしながら映画女優を目指すが、一向に芽が出ず。 仕方なくポルノの世界に飛び込んで、一躍名前を売った。 旦那のミシェル・ルモワーヌと組んで、数々の作品を発表。 女優と監督コンビではアルゼンチンのアルマンド・ボーと 巨乳クイーン、イザベラ・サルリが有名だが、 レイノー&ルモワーヌは、さしずめこのフランス版? 007をパロったB級スパイものなど、映画には60年代中頃から 顔を出していたが、日本で初めて公開された彼女の出演作は スペインの多産監督ジェス・フランコの「濡れた恍惚」(69)。 正式なプロフィールは未公開だが、当時独身で20代半ば。 続いて公開された「色情日記」(70)でサンドラ・ジュリアンと共演。 彼女を同性愛に導くレイノーの妙技が話題をまいた。 この作品ではミシェル・ルモワーヌとも共演。 (ルモワーヌは「濡れた砂丘」(62)などで知られる業界人。 俳優としても30本以上の出演作があるベテランだった) これが縁となって二人はゴールイン。旦那の脚本・監督・主演、 女房の共演で「慢性発情女」(72)を発表。 同パターンで製作された作品に「性臭めすカマキリ」(74)がある。 この夫婦の作品では妻が夫に騎乗(スミマセン生々しくて)する 性描写が良く出てくるが、その訳は旦那の持ち物が小さいため、 と噂された(レイノーは「私、その姿勢が好きなの」と弁明)。 続いて公開された「悶絶!アニマル・レディー」で 旦那と共演しなかったレイノーに、早くも離婚の危機が囁かれたが、 本人は「いつも相手が同じじゃ、お客サンも飽きるでしょ? 飽きるといえば、ウチも倦怠期。だから他の監督の映画に出て 夫婦関係にも刺激を与えてるの。若いポルノ俳優を集めた 乱交場面は若さを保つ秘訣でもあるのヨ」と答えていたとか。 また映画で演じる同性愛シーンについては、 「やはり経験のある女性が助言しなくてはダメね。 ルモワーヌは、この世界が良く分からないもで、 私が指導してるのよ。一方、マックス・ペガス監督は この題材を良く研究していたわ。私も演技に熱が入ったし。 実は私、男性よりも、女性との交渉の方が経験あるのよ。 だから同性愛シーンが上手いといわれるのね。 好み?「アニマル・レディー」のナタリー・ツィガーより サンドラ・ジュリアンの方がスキかしら?」・・・さすが! |
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<主な日本公開作> 「ミランダ/悪魔の香り」(85) 「レイプ・マニア」(81) ---------------ここら上の作品は未確認---------- 「性臭めすカマキリ」(74) 「欲情する女たち (TV)」(73) 「人妻ポルノ/慢性発情女(めす)」(72) 「色情日記」(71) 「ターヘルアナトミア/死霊の解体新書(V)」(69) 「濡れた恍惚」(69) |
シャロン・ケリー
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<ヤンキー・ダイナマイツ> ●1949年12月1日、アメリカのケンタッキー生まれ。 身長166センチ、バスト96.5、ウエスト63.5、ヒップ91.4の ダイナマイトボディを誇る(人によっては只のデブと評する方も)。 73年9月に初の主演映画「秘密ポルノ放送局/ダーティーサリー」を 引っさげて宣伝キャンペーンに来日。ヘアを見せる見せないで騒動に。 日本でも絶大な人気があり、邦画への出演も果たしている。 本名シャロン・リン・ナールズ。コリーン・ブレナン名義の作品もあり。 海外で「ポルノ捜査局」が特典を多数つけてDVD化 (発売元:サムシング・ウィアード)。おめでとう。シャロン。 |
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| ↑人気があったせいか、確かに写真は沢山挙がるけど・・・。 <主な日本公開作> 「ローリング・ウーマン/私の奥にけものがいる」(89) 「女囚物語3・獄囚のメロディ」(87) 「スキンレス・ナイト/けもの妻」(87) 「SEXリボルバー/弾を握る女」(85) 「激芯クライマックス〜爆裂!30cm砲〜」(85) 「性婦」(84) 「アラブ女地獄/悪魔のハーレム」(76) 「シャロン・ケリーの人妻交換」(76) 「シャンプー」(75) 「淫獣アニマル」(75) 「シャロン・ケリー/ポルノ探偵局」(74) 「ナチ女収容所/悪魔の生体実験」(74) 「ベッド・テクニシャン/シャロン・ケリー」(74) 「デッドヒートポルノ/PART1.露出(シャロン・ケリー) /PART2.悶絶(サラ・ニコルソン)」(73〜75) 「秘密ポルノ放送/ダーティサリー」(73) 「ポルノ捜査局/シャロンケリー」(73) 「ポルノ秘密警察/シャロンケリー2」(73) |
マリリン・チェンバーズ |
<CM女王の、緑のドアの向こう> ●アメリカのTVでオンエアされる<アイヴォリー・スノウ>という 石鹸会社のCMガールとして、お茶の間の人気者だった彼女が、 米製3大ハードコア・ポルノのひとつ「グリーンドア」に出演、 スキャンダラスな話題を巻いたのが76年。日本での公開時には来日も果たし、 健康的なお色気で注目を浴びた。その後クローネンバーグの「ラビッド」や ラスベガスの舞台への出演。自伝の執筆、自らの肉体へ保険をかけるなど、 話題に事欠かなかったポルノスター。「ディープスロート」のリンダ・ラブレーズの 夫君だったチャック・トレーナーの愛人だったことも(泥沼)。 |
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←セクシー大盤振る舞い。来日当時のようす。 <主な日本公開作> 「パーティ・ガール」(89) 「超能力セックス・ウォーズ/エンジェルH.E.A.T.」(83) 「マイ・セクシー・カウンセラー」(83) 「プラチナ・パラダイス2」(82) 「インセイシャブル」(81) 「ラビッド」(77) 「グリーンドア/第1部:イブの復活 第2部:グリーンドアの中で」(74〜75) 「フクロウと子猫ちゃん」(71) |
マリー・メンダム
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<短くも、美しく、燃え> ●1953年生まれ。シカゴ大学を優等生で卒業した過去を持つ。 舞台への出演も多く、「レニー」「ヘアー」「フラワー・ドラム・ ソング」などで注目を浴びた。そんな彼女の出世作が ラドリー・メッガーの「イマージュ」。 清廉で知的な美貌の彼女が、マゾヒスティックな役柄を演じる 意外性が受けて、これ1本でメンダムの名を記憶したの方も多いだろう。 76年に「イマージュ」の宣伝キャンペーンで来日。 その後、暫く活動を続けたが、比較的早いうちに足を洗ったようす。賢明。 彼女の偉業をご存知ない方は近々発売の輸入DVD「イマージュ」でチェキ。 |
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←76年に来日した時の記者会見のようす。 でも、こういう会見で一体何を話すのかしら? <主な日本公開作> 「マリー・メンダム/セックス・マシーン」(79) 「マリー・メンダム/セックス・プロ」(77) 「マリー・メンダム/ハード・テクニシャン」(76) 「マリー・メンダム/若妻の欲情」(75) 「イマージュ」(75) |
アビゲイル・クレイトン |
<お仕事、ダイスキです> ●大学を卒業したインテリ・ポルノ女優として、 巨匠アレックス・デレンジャー監督の助手や編集作業に携わり、 女流ポルノ監督を目指す(実現したかは神のみぞ知る)。 豊満な肉体派の多いポルノ女優の中では彼女は小柄でスリム、 マスクも15〜16歳にしか見えないため、チャイルド系の作品に 出演したときは子供と間違われ、多いに物議を醸した。 「官能ポルノ/ダーティーバージン」で、わずか15歳でデビュー。 ヌードモデルから転身、仕事が楽しくてハードコアに連続出演。 お蔭で仕事道具が・・・。で、ピンク色に戻すために わざわざ整形手術したとか。ご苦労様です。 ポルノを敬遠し、彼女の出演作を見たことのない人も、 「マニアック」で入浴後に殺される女優はご記憶だろう。 彼女こそアビゲイル・クレイトン。 ゲイル・ローレンスは彼女の変名である。 |
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アネット・ヘヴン、アンバー・ハント、レスリー・ホビーらと 共演(無駄に豪華な配役)した「ネイクド・セックス」から。 ・・・え?コレ、結構可愛くないか(ウソウソ。私が悪うございました)? <主な日本公開作> 「エロトアラベスク/はれん恥」(87) 「ポルノスターズ/艶熟」(84) 「恋のジーンズ大作戦/巨人の女に手を出すな」(81) 「ダブル・クラッチ/熱い息」(81) 「マニアック」(81) 「ザッツ・ポルノ」(80) 「ネイクド・セックス」(80) 「アネット・ヘブンの スパークポルノ」(77) 「オープン・ポルノ/Sex Press」(77) 「セックス・ワールド」(77) 「バイバイ・モンキー/コーネリアスの夢」(77) 「官能ポルノ/ダーティー・バージン」(75) |
クローディーヌ・ベッカリー |
<ミス・露出> ●1945年、6月14日、フランスのクルテーユ生まれ。 厳格な家庭に育つが、14の時に叔父に犯されて家出。 パリの町をさ迷ううちに好色な警官に目をつけられ、 年齢がバレて補導。15歳で感化院に入所、 4年後にそこを出た彼女は20歳で軍人と結婚するが 2年8ヶ月後には早くも離婚。 スペインに渡りマドリッドで売春婦となるが、 スペイン映画に出演する機会を掴み、70年の ロマン・ギャリー監督作「殺し」などに出演する。 72年にパリに戻った彼女は「相続人」を始め、 およそ35本の映画に端役で出演。73年にフレンチポルノの 解禁的作品となった「エキシビジョン/露出」でスターとなる。 |
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<主な日本公開作> 「ポルノ/激震」(79) 「ナチ第3帝国/悪魔の拷問列車」(77) 「激情の女/ダブルSEX」(77) 「牝犬の欲情」(76) 「欧州コールガール情報/淫売宿」(75) 「露出/エキジビジョン」(75) 「血に濡れた肉唇(V)」(75) 「ライブフィルム/絶頂」(72) 「多情女集団ダイナマイトポルノ」 |
ブリジット・メイヤー |
●オーストリアに生まれ、子供の頃、両親と共にシカゴに移住。 カソリック女子学校を卒業後、17歳で自立し、ロスでトップレスダンサーを経験。 そこで突然スウェーデンに渡り、バート・トートンことマック・アールベルイの 「SEX専門講座/ポルノ大学」や「巨大なる男とジュスティーヌ」などに 出演する機会を得る。それら諸作で名前を売った後、ペントハウス誌の カヴァーガールになるなど、多くの話題をまいた。 |
<主な日本公開作> 「SEX専門講座/ポルノ大学」(75) 「巨大なる男とジュスティーヌ」(75) 「淫溺/センセーション」(75) 「ライブフィルム/絶頂」(72) |
まだ続きます。不定期で更新予定ス。
参考文献:ポルノ女優名鑑20人(菊地原清次氏・小松雅俊氏)